大きな山の遺跡 / Prasat Phnom Rung 第2弾
: 訪問日 07Dec'09、20Dec'09


この遺跡は、2000年当時、タイへ駐在した頃、初めて訪問して以来、何度か訪問しています。
最初は、訪問しただけで満足でしたが、いろんな方々の情報に接したりするうちに、
クメールの遺跡にひきつけられるようになり、行っても行っても、見落としに気がつき、
また、行きたくなるようになりました。

そして、今回、また訪問して来たので、紹介します。
(前回の紹介記事は、 ココ をクリックください。)

今回の訪問の目的は、以下です。

①現在、残っている回廊は、内回廊(右写真のNo.9)で、
その外に木造の回廊(右写真のNo.8)がありました。
その外回廊の痕跡を確認する事。

②Michael Freeman著の
「KHMER TEMPLES IN THAILAND & LAOS」の中で、
「Mandpa(拝殿)入る時、後世追加された階段を1mくらい
下ります。
おそらく、木のフロアや、木の天井があったのでは。」とあります。
その1mくらい低いフロアを確認する事。

③Michael Freeman著の
「KHMER TEMPLES IN THAILAND & LAOS」の中で、
「Mandapaの中には、各方位の守護神のレリーフを持つ
ブロックがあり、8つの方位の内、6つの方位神のブロックが
見つかっている。」とあります。
前回の紹介では5つを紹介していましたが、
残りひとつを見落としていましたので、
その残りひとつを確認する事。

④祠堂には、多くのレリーフがありましたが、
特に高い位置のレリーフは、目が悪い私には、
じっくり見る事ができていませんでした。
よって、見れる範囲で確認をする事。

右の写真は、パンフレットに載っていた遺跡の平面図です。
遺跡は、東西のライン上にあり、東を正面にして建っています。

よって、遺跡には、東から西に向かって進んで行きます。




右写真は、
Phnom Rung周辺の遺跡を含む
地図です。



























■第1階段

駐車場へ車を置き、遺跡への参道を登って行きます。

右写真は、駐車場の前のおみやげ屋さんです。
おみやげ屋さんの前の道を進んで行くと
階段が見えてきます。









最初の階段を登って行きます。














階段を登って行くと、途中、階段が途切れ、
岩場の道を登ります。

Phnom Rungは死火山の上に建っており、
溶岩でできた岩だと思います。










階段を登り切ると、その向こうに祠堂が見えてきます。
















■Phlab Phla

右手に(参道の北側に)、Phlab Phlaが見えます。













これが、Phlab Phlaです。
参道方向(南方向)を向いたコの字型の建物です。

ここは、王族が参拝をする時に御召替えをした場所と
考えられています。












■参道

階段を登り切ると、下りの階段があり、
そこには祠堂に続く参道があります。















参道を祠堂へ向かって進んで行きます。
















■The First Naga Bridge

参道を進んで行くと、最初のNaga Bridgeが
見えてきます。

また、このNaga Bridgeは、
上から見ると、十字型をしています。









そのNaga Bridgeの右側のナーガの欄干です。

5頭のナーガには、炎状の飾りがついています。
これはアンコールワット様式(12世紀前半)の特徴です。














十字型のNaga Bridgeの南の突出部です。
















■第2階段

右写真は、改めて、第1階段を登り切った第1階段の上から、
参道、Naga Bridge、第2階段、そして、祠堂の全貌を見たところ。

第2階段は、Naga Bridgeから指導に続く長い階段で、
5段になっています。












その第2階段を登ります。

ここを登ると回廊と祠堂があります。












第2階段を登り切って、参道を振り返ったところ。

みんなが、歩いて来た参道をバックに写真を撮っています。















南には、麓の田園地帯が見えます。
















■4つの聖池のあるテラス

階段を登り、正面に内回廊の東塔門と、
その向こうに祠堂の屋蓋部が見えます。

ここでは、敢えて内回廊と書きましたが、
内回廊の外側には、外回廊があったと言う事です。









東塔門の手前には、第2のNaga Bridgeがあり、
更にその手前には、4つの聖池が配置されています。













4つの聖池のあるテラスの南東角の階段です。
















■外回廊の痕跡

Phnom Rungのパンフレットを読むと、
「内回廊の東正面を除いた三方に、
もう一巡りラテライト敷きの通路の跡が
残っている。これは外回廊と考えられる。」
とあります。

その外回廊の痕跡を確認する為に、
内回廊の外周を回って見ました。

東正面の参道から、
内回廊の東面南側の外回廊へ向かいます。



東面南側の通路です。

パンフレットには、
「内回廊の東正面を除いた三方に、
もう一巡りラテライト敷きの通路の跡が残っている。」
とありますが、
東面にも、ラテライトの通路があります。








南東角から、南面に沿って、通路が続いています。

周辺からは、瓦が大量に発掘されており、
外回廊は、木造の吹き抜けの屋根が架されていた
と考えられています。










南面の外回廊の外から、
内回廊、そして、その向こうの祠堂を見たところ。













南面の外回廊の外、南正面から祠堂を見たところ。














南西角から祠堂方向を見たところ。














西面の外回廊を歩きながら、
南を振り返って見たところ。

外回廊の痕跡のラテライトが並べられています。











西面の外回廊に上がる中央階段です。
両脇には、シンハが座っています。

その向こうに内回廊の西塔門が見えます。
更にその向こうには祠堂が見えます。










階段脇のシンハです。

















北面の外回廊の痕跡。

北東角から西を振り返ったところ。












外回廊の北東角。

東面の中央寄りから、北を振り返ったところ。












東面北側の外回廊。
ここにも外回廊の痕跡があります。

東面中央方向を見たところ。













■内回廊のレリーフ

内回廊南東角の東面偽扉のまぐさ石。












内回廊南東角の南面偽扉のまぐさ石。













東塔門の北側の入口上の破風。
ラーマヤナ物語の一場面です。

魔王ラーヴァナの軍隊と、
ラーマ王子の猿軍の戦いの中で、
形勢が不利になったラーヴァナが、
弟の巨人クンバルカーナを起こして
戦わせます。
但し、クンバルカーナは、
6ケ月眠り続けてた後、
1日だけ不死身になりますが、
眠っている途中に無理やり起こされたので
本来の力が出せません。

このレリーフは、
そのクンバルカーナと猿達が戦っている
場面です。


内回廊の北東角越しに祠堂を見たところ。














東塔門のピラスター下部のレリーフです。



















■The Second Naga Bridge

内回廊の東塔門の手前には、
第2のNaga Bridgeがあります。














■The last Naga Bridge

内回廊の東塔門を抜けると、第3のNaga Bridgeがあります。

Naga Bridgeの向こうに見えるのは、Mandapaの東入口。
その東の入口の上には、盗難され、アメリカで発見され、
返還要求を経て、取り戻した
有名な「 大蛇アナンタの上に横たわるVishnu神 」のまぐさ石が
あります。

第3のNaga Bridgeは、東塔門とMandapaをつなぐ架け橋に
なっています。






その有名なまぐさ石の前で、この右側の若い女性と、
タイ人が入れ代わり立ち代わりで写真を撮っています。

私は、「邪魔だ。早くのけてくれ。」と思いながら
写真を撮っていた。

近くのおじさん曰く、ダラー(星)との事。
いわゆるタイ人のスターである。
名前を聞くと忘れたらしい。
やはり、おじさんは、私も一緒だが、
若いスターの名前は覚えられないようだ。

確かに、かわいい女性だった。
こっちを向いた時、一枚とっておけば良かった。









Naga Bridgeは、十字型をしており、
右写真は北側への突出部です。

マカラの口からナーガが吐き出されていますが、
ナーガは崩れて無くなっています。









Mandapaの入口に向かって延びている
ナーガの欄干です。

欄干の内側には、門衛神の足が残っています。











そのMandapaに接しそうに近い位置に
ナーガがレイアウトされています。

東塔門とMandapaの狭いスペースに
後から、無理やり、Naga Bridgeが設置された
ように見えます。











■内回廊の内側のレンガの建造物跡

Mandapaの北側には、
レンガの建造物が2基(右写真)ありました。

建っている柱は、建造物の入口のフレームです。

写真右(東側)の建造物の入口は、南を向いています。
写真左(西側)の建造物の入口は、東を向いています。







南向きの入口を持つ遺構を、南東から見たところ。














その遺構を北東から見たところ。

その遺構の内部は穴のようになっているが、
ここは何だったのだろう。












東向きの入口を持つ遺構を東から見たところ。



















■経蔵(Bannalai)

北東隅の経蔵です。
ラテライトでできています。

入口は、南を向いています。
経蔵と言えば、通常、西側に入口がありますが、
南向きの入口は珍しい。

良く見ると経蔵の西側にラテライトが並べられており、
もしかしたら、経蔵に隣接して木造建築物があったのかも
しれません。




南東隅の経蔵です。

こっちの経蔵の入口は西向きです。












その経蔵の内部です。

パンフレットには、
「神像などは見つかって無い。」とありますが、
何かが置いてあったような雰囲気の台座があります。










経蔵横(南側)の遺構です。

井戸のような遺構だけでなく、
経蔵横からラテライト石が続けて
低い壁のように積まれています。

ここにも何か隣接した建造物があったのか?

経蔵の壁には、窓も見えます。






一見、井戸のような遺構の内部です。

穴がないので、井戸ではなさそうです。














■Prang Noi

これは南西隅のPrang Noiと言う建物です。

屋蓋部は失われており、
最初から未完成と言う説もあります。

東面の破風には
ゴーヴァルダナ山を持ち上げるクリシュナ」の
レリーフがあります。





Prang Noiのある北側の地面には、
岩肌が露出しています。














■Mandapaの東面のレリーフ

Mandapa東正面入口上部の破風です。
レリーフは、Shiva Nataraja、 踊るシヴァ神です。























この破風の下には、有名な「 大蛇アナンタの上に横たわるVishnu神 」のまぐさ石があります。



そして、東正面入口の両脇には、半分の破風があります。

右写真は、東正面に向かって、左側の半破風です。















その拡大写真です。

このレリーフは、7才から9才のお金持ちの娘の処女を
小さなリンガで奪う儀式のようです。
(Michael FreemanのKhmer Temples
in Thialand & Laosの本より。)

今は、やって無いと思いますが、
昔はこんな事をしていたのですね?
残酷と思うのはそう言う風習の無い人達で、
クメールの人は、良い事と信じてしていたのだと
思います。











Mandapaの東正面入口から内部を見たところ。

聖牛ナンディンがMandapa内部に、
その向こう、祠堂内部にはリンガ、
そして、その向こうには、西塔門の入口まで、
直線状に通して見る事ができます。

この写真は、Mandapaの東入口から撮影しましたが、
実際は、東塔門の入口から通して見る事ができるはずです。

手前の方形のブロックは、
東方の守護神で、天空の神のインドラ神のレリーフが
彫られています。




右写真は、東正面に向かって、右側の半破風です。

宗教儀式の一場面です。太鼓を持った人もいます。















Mandapaの東面の踊るシヴァ神の破風の
更に奥の破風です。













その拡大写真です。

ラーマヤナ物語の一場面です。

ラーマ王子は、魔王ラーヴァナに妻のシータ姫をさらわれ、
猿王スグリーヴァの助けを得て捜索隊を出します。
そして、捜索に出た白猿ハヌマーンが、
魔王ラーヴァナの住むランカ島でシータ姫を
見つけ出します。
しかし、シータ姫は、ハヌマーンが
魔王ラーヴァナの一味ではと思い疑いが解けません。
そこで、ハヌマーンは、ラーマ王子から預かった指輪を
シータ姫に差し出して信じて貰う事ができました。

右のレリーフは、シータ姫(中央)の指に
ハヌマーン(右側)がラーマ王子の指輪をはめる場面です。

これと同じモチーフのレリーフが、
Roi-Etの Ku Kradonにもあります。






■Mandapa北面のレリーフ

Mandapa北側入口の破風です。
インドラジットの死の場面と言う事です。

魔王ラーヴァナの息子インドラジットは、ニクムビラの魔法で
インドラ神を打ち負かした事があり、「インドラ神を征服した者」、
すなわち、インドラジットと呼ばれるようになりました。
よって、インドラジットが、ニクムビラの魔法で不死身になる前に倒す必要があります。
ラクシュマナと、ヴィビーシャナは、インドラジットを倒す為に、
魔王ラーヴァナの住むランカ島へ潜入し、
ニクムビラの魔法をかけようとしていたインドラジットを倒します。

しかし、写真の破風は、破損が激しく、構図がわかりにくい。

























Mandapa北入口の東側の半破風です。

















その拡大写真です。

レリーフは、シンハと闘うクリシュナと思います。






















Mandapaと祠堂の間にあるAntaralaのまぐさ石です。













その拡大写真です。

レリーフは、クリシュナがシンハ(右側)と象(左側)と闘っている場面です。
クリシュナの頭上には、オウムが2羽います。



















下の写真は、そのまぐさ石の上の破風です。
ラーマ王子の妻シータ姫が、10の頭と20の腕を持つ魔王ラーヴァナに連れ去られる場面です。

ダンダカーの森でラーマ王子、シータ姫、ラーマ王子の弟のラクシュマナの3人が暮らしていました。
そこへ、悪魔のマーリチャーが化けた金色の鹿が現れます。
金色の鹿を見たシータ姫は、ラーマに鹿を捕まえてと頼みます。
ラーマ王子は、ラクシュマナにシータ姫を預け、金色の鹿を捕まえに森の奥深くへ入り込みました。
そして、金色の鹿に化けた悪魔マーリチャーを弓で撃った時、
マーリチャーは、ラーマ王子の声でラクシュマナに助けを求めます。
その声に騙されたラクシュマナが、ラーマ王子を助けに駆けつけている間に、
シータ姫は魔王ラーヴァナに連れ去られてしまいました。

破風の下部の中央は、金色の鹿に向けて弓を射ているラーマ王子がいます。
そのすぐ左にはラクシュマナがいます。
金色の鹿は削り取られているようです。
下部の左側の東屋の中では、シータ姫が魔王ラーヴァナに言い寄られているのだと思います。
ラーマ王子の右の木の葉っぱの中には、2匹の猿がいます。
交尾をしている場面と言う事ですが本当?
クジャクや、リスや、オウムのような動物も見えます。

そして、破風の上部には10の頭を持つ魔王ラーヴァナがいます。
ラーヴァナの後ろの馬車は、ヴィシュヴァカルマンが製作した空を駆る戦車プシュパカ・ラタです。
この中にさらわれたシータ姫がいるはずで、
摩王ラーヴァナの前には、シータ姫を助けようとした怪鳥ジャターユがいます。



























■北東の守護神イシャーナ神

Michael Freeman著の「KHMER TEMPLES IN THAILAND & LAOS」の中で、
「Mandapaの中には、各方位の守護神のレリーフを持つブロックがあり、
8つの方位の内、6つの方位神のブロックが見つかっている。」とあります。
前回の紹介 では5つのブロックを紹介していたが、残りひとつのブロックを見落としていました。

その残りひとつを確認して来ました。
そのブロックです。

雄牛に乗るイシャーナ神です。
北東の守護神。インドの空気、風の神様です。
(E-sana on a bull, in Northeast)

タイの東北地方をイサーンと言いますが、
この神の名前と関係がありそうです。

但し、タイの東北は、
AyutthayaやBangkokを中心に考えた時の東北で、
Khmer帝国の中心Angkorから見ると北になり、
方位由来ではないかもしれない。







■Mandapa南側のレリーフ

祠堂(左端)、及び、Mnadapa(中央)を
南から見たところ。












Mandapaの南側には、
聖牛ナンディンに乗るシヴァ神とウマー
破風がありますが、
右写真は、その破風の更に一段上にある破風です。











その拡大写真です。

ラーマ王子が、弟のラクシュマナと
シータ姫を探して森の中を歩いている時、
巨大な怪物ガバンダがラーマ王子とラクシュマナを
掴み上げました。
しかし、ラーマ王子とラクシュマナは、
剣でガバンダの腕を切り落とします。

右写真は、巨大な怪物ガバンダが
ラーマ王子とラクシュマナを掴み上げた場面です。

ガバンダは、インドラ神と闘った時、
インドラ神の武器・金剛杵(ヴァジラ)で頭を殴られ、
頭が体にめりこみます。
よって、目が胸に、口が腹についているのが特徴です。

このレリーフは、そのガバンダの特徴と少し違うように
思います。




■Mandapaのフロア

Michael Freeman著の「KHMER TEMPLES IN THAILAND & LAOS」の中で、
「Mandpa(拝殿)へ入る時、後世追加された階段を1mくらい下りる。
おそらく、木のフロアや、木の天井があったのでは。」とあります。
それを確認したいと思っていました。

右写真は、Mandapaから祠堂へ続く入口です。
Mandapaのフロアの高さと、祠堂への入口の高さは、
確かに、1mくらいのGAPがあります。


Mandapaから祠堂に続く入口の手前の方位神の
ブロックには、西の守護神で、かつ、水神のヴァルナの
レリーフが彫られています。






Mandapaの北側の入口です。
こちらも、フロア面と入口の高さは、
1mくらいのGAPがあります。
もしも、後世追加された階段が無ければ、
フロアへ降りるのは、困難と思われます。

この高さのGAPを埋める木の床が設置されていたのでは
と想像できます。
しかし、それにしても、
なぜフロアをこんなに低くつくったのだろうか?
良くわからない。




右写真は、
第3のNaga Bridgeへ続くMandapaの東の入口です。
こちらもフロア面と入口の高さのGAPが、
1mくらいあります。











これは、Mandapaから祠堂へ向かう入口手前の南側の壁です。

壁龕があります。















また、その壁を良く見ると、丸い穴、方形の窪みがあります。

これは、何の為?
木造構造物のほぞ穴?
こんな位置に何があったのでしょうか?
それとも石を運ぶ為?












Mandapaの中心には、シヴァ神の乗り物、
聖牛ナンディンが西向きに置かれています。

西からMandapa内部を見たところ。














Mandapaのフロアの中央に置かれた
聖牛ナンディンです。













そのナンディンを南から見たところ。















■祠堂内部のまぐさ石

祠堂の内部の東側のまぐさ石です。











下は、その拡大写真で、
5人のRishi(苦行者)像です。

















祠堂の南入口から内部を見たところ。

祠堂中央には、リンガがあります。
南入口のドアは、上半分が塞がれており、
開いているエリアが狭くなっています。
なぜ?












祠堂南入口を入ったすぐのまぐさ石です。












以下の写真は、その拡大写真です。
中央の人物は、この遺跡の創建者のNarendradityaで
Rishi(苦行者)になる為の儀式の場面と言う事です。














祠堂南入口を更に入った奥のまぐさ石です。












以下の写真は、その拡大写真です。
これは、他のRishi(苦行者)に囲われたシヴァ神(中央)、または、Narendraditya王と言う事です。















祠堂の西側入口内部のまぐさ石です。













その拡大写真です。
インドの叙事詩「マハーバーラタ」の一場面です。
マハーバーラタの主役パーンダヴァ5兄弟の一人、怪力の持ち主ビーマが
邪悪なドゥシャサーナを2つに切り裂いています。















祠堂の西入口内部のまぐさ石です。












そのまぐさ石の拡大写真です。
これは何の場面でしょうか?
中央の建物には、主役の人物のレリーフがあったばずですが、削り取られています。
左端にも建物が有り、人々が彫られています。
右方には、ワニや魚、そして鳥が彫られています。















祠堂の北入口を入ったすぐのまぐさ石です。

これは、ハンサの上に座る5人のRishi(苦行者)像だった
のではないかと思います。











祠堂の北入口奥のまぐさ石です。













以下は、その拡大写真です。
これもインドの叙事詩「マハーバーラタ」の一場面です。

パンチャーラ国王ドラパハの娘ドラウパディの結婚相手を選ぶ為に、
国に伝わる重い弓を持ち上げ射る競技が行われました。
そこで、パーンダヴァ5兄弟の一人、英雄のアルジュナが、ただ一人弓を射る事ができ、
ドラウパディを妻とする事ができました。
そして、妻を家に連れて帰ったところ、母親から兄弟で均等に喧嘩をしないように
分け合うように言われ、5兄弟共通の妻とする事になりました。
そんな馬鹿な!国によって美徳感は異なるのかも。
弓を持ち上げて妻を得る話は、ラーマヤナ物語のラーマ王子がシータ姫を得た話とそっくりです。

このレリーフは、中央でアルジュナが弓を持ち上げています。
右側には、パーンダヴァ5兄弟の他の4人が彫られていたようです。
















■祠堂東側のレリーフ

主祠堂東側の破風です。













右は、その拡大写真です。

クリシュナが
ゴーヴァルダナ山を持ち上げています。























■祠堂南側のレリーフ

祠堂を南東から見たところ。
















祠堂屋蓋の南側上部の装飾枠です。














更にその下にあった装飾枠です。

5人のRishi(苦行者)のレリーフです。











更にその下の装飾枠です。
その装飾枠の前には、冥界の王、そして、南方の守護神で、水牛に乗ったヤマのレリーフの
軒鼻飾りがあります。
























その拡大写真です。
これは、この遺跡を立てたMahindharapura家のNarendraditya王の象に乗った
戦闘シーンと言う事です。
右の象は、鼻で兵士を締め上げています。





















祠堂南側の破風です。

















その拡大写真です。

ラーマ王子がシータ姫を取戻し、
Ayodhyaへ帰還している場面です。

中央がラーマ王子です。
左右にと言っても右側の象は削れていますが、
ラクシュマナとシータ姫のはずです。
聖鳥ハンサに支えられた空を駆る戦車
プシュパカ・ラタに乗っています。

下段は、ラーマ軍の猿の兵士。
馬に乗った兵士もいます。









ラーマ王子のAyodhyaへの帰還のレリーフを、少し西寄りから見たところ。
そのレリーフの手前には、更にもうひとつの破風があります。

この破風は、尾根飾りの陰で見えにくいですが、
ラーマ王子の妻シータ姫がダンダカーの森の魔物ヴィラーダに誘拐されている場面です。



























■祠堂西側のレリーフ

祠堂を南西から見たところ。
















その祠堂の屋蓋を南西から見たところ。
















その祠堂西側の屋蓋部にある装飾枠です。
このレリーフは、ラーマ王子が、猿王ヴァ―リンを殺している場面です。

かつて、スグリーヴァは猿王でしたが、兄のヴァ―リンに国と妻を奪われ、
ラーマ王子に国を取り返してくれたら、シータを探しだし、取り戻す事に協力すると
約束しました。

レリーフでは、中央右側で、猿のスグリーヴァとヴァ―リンがとっくみ合いの戦いをしています。
左には、ラーマ王子が、「ヴァジュラダンダ」と言う投げ槍をヴァ―リンに投げつけ
殺そうとしています。

この装飾枠の前には、聖鳥ハンサに乗るヴァルナ神の軒鼻飾りがあります。
ヴァルナ神は、司法神であり、また、水の神、水天であると共に、西方を守護する神です。
























これは、その装飾枠の下の破風です。

奥の破風は、Ayodhyaの宮殿の中で、ラーマ王子と、その膝の上のシータ姫がくつろいでいます。
下段には、付き添い達がいます。
ラーマ王子が、魔王ラーヴァナからシータ姫を取戻し、Ayodhyaで幸せに暮らしている場面です。

手前の破風には、手前の尾根飾りで、ひとり隠れていますが、3人の人物がいます。
彼らの頭上には、木が描かれていますが、ダンダカーの森を表しています。
そして、3人の人物は、ラーマ王子とシータ姫、そして、ラクシュマナです。
























そして、更にその下、西側入口のすぐ上の破風です。
シータ姫に、ラーマ王子をあきらめさせる為に、
魔王ラーヴァナが幻術使いのVidyujihvaに命じて、
戦場でラーマ王子が死んだ幻想をシータ姫に見せている場面です。

中央が、魔王ラーヴァナの空を駆る馬車プシュパカ・ラタです。
馬車は、クメール寺院、Phnom Rungの祠堂の形をしています。
そして、馬車の中のシータ姫に、戦場でラーマ王子とラクシュマナの
切り落とされた頭を従者が捧げ持ち上げ悲しんでいるところを見せています。
その下には、棍棒を持った猿達が飛んでいます。
























その破風の下(西側入口の上)には以下のまぐさ石があります。
魔王ラーヴァナの息子インドラジットが魔法の矢を射ると、
矢が蛇に変わり、その蛇がラーマ兄弟を締め上げている場面です。

参考までに、
インドラジットは、ニクムビラの魔法でインドラ神を打ち負かした事があり、
「インドラ神を征服した者」、すなわち、インドラジットと呼ばれるようになりました。



























■祠堂北側のレリーフ

祠堂屋蓋部の北側の装飾枠です。
このレリーフは、Narendraditya王の軍事パレードです。
中央の象に乗った人物がNarendraditya王と思います。
馬に乗ったり歩いている兵士もいます。

この手前の軒鼻飾りは、北を守護するクーベラ神と思います。
クヴェーラ神は、財宝を司る神です。

























祠堂北側の一番上の破風です。














その拡大写真です。
これは、ビシュヌ神の化身クリシュナ伝説の一場面です。

邪悪なカンサ王は、ヤドゥ族の王と結婚した
自分の妹の8番目の息子に殺されると予言を受け、
その子供クリシュナを殺そうとします。

クリシュナは、その兄のバララーマや、
牛飼い村の子供達と遊んでいました。
そこへ悪魔のパラランバがやって来て
一緒に遊びだします。
お互いを背負って戦う遊びの時、
バラランバはバララーマを背負い、
バララーマを背負ったまま連れ去ろうとします。
そこで、バララーマは、急激に自分の体重を重くすると、
バラランバは悪魔の姿になり逃げだします。
バララーマは激しい雨を降らせ、
拳骨のような強烈な雨で殺してしまいます。

中央が悪魔バラランバで、背負っているのはバララーマで、
周りには子供達がいます。
木の上にも子供達が遊んでいます。



これは、北側入口すぐ上、一番手前の破風です。

上段中央には、猿達が担いでいる輿の上に2人の人物がいたようですが、はっきりしません。
ラーマ王子とラクシュマナの兄弟か、Ayodhyaに帰還したラーマ王子とシータ姫だと思います。
周りを、猿達が守っています。

























祠堂北側入口の東側の半破風です。

















その拡大写真です。

Rishi(苦行者)が牛の乳を搾っています。
その後ろから犬が乳搾りの邪魔をしています。















右写真は、祠堂北側入口を出たところです。

祠堂北側入口の両脇には、門衛神の跡があります。















祠堂北入口に向かって左側のPilasterの根元のシンハです。

















この半破風は、どこにあったか
記憶がありません。

木の下で、ヴェーダ聖典を教えるRishiです。

















■リンガへ注がれた聖水を北に向け流すSomasutra

祠堂の北入口の外には、北に向けてSomasutraがあります。
祠堂の内部のリンガに注がれたSoma酒が、
どのように外へ流れて出てくるのでしょうか??














祠堂の中心に、
男性器を模したリンガが、女性器を模したヨニを貫いた状態で
置かれています。
よって、祠堂の内部は、女性の胎内であり、
万物を創造する聖なる宇宙と考えられています。

そのリンガを東から見たところ。

このリンガに聖水(ソーマ酒)が注がれ、
その聖水が祠堂の外に流れ出ます。








そのリンガを中心に西の入口方向を見たところ。

と書きましたが、2008年5月29日の遺跡破壊事件の為か、
今はチェーンが張られて祠堂の内部には入れません。
よって体を乗り出すようにして撮影しました。

リンガの西側には凸形状の穴と、
更に西入口部の小部屋に□形状の穴が開いています。
この穴から聖水を流すSomasutraが
フロア下を通っています。





西入口を入ったすぐの小部屋のフロアの穴です。
ここもチェーンが張られて中に入れないので、
身体と手を伸ばして穴の中を撮影しました。

リンガの方向の壁には、小さな四角い穴が開いています。
リンガに注がれた聖水が、この穴から流れ出てくるのだと
思います。








そして、この□形状の穴の中に聖水が、溜まるのか?

そして、西入口側の壁にも穴が開いているように見えます。

この穴を通って、外へ、
そして、最初の写真のSomasutra(樋)へ
流れる出るのだと思います。








Somasutraが置かれていた手前の祠堂の基壇の壁です。

さっきの穴から聖水が外へ出るとしたら、
基壇のこの辺りに穴が開いているはず。

この石を取り除くと、穴がつながって無いかな
と思いながら見てしまいました。

事実、どのように、外のSomasutraまで
水路がつながっていたのでしょうか?
依然、興味は尽きません。







■内回廊の外から見た祠堂

内回廊の外、南西から、祠堂を見たところ。













南側内回廊の外から見た祠堂。














南側内回廊を、外から見たところ。














Khao Phnom Rungを南から見たところ。

Prasat Muang Tamから西へ向けて走りながら、
車を止めて、Khao Phnom Rungを見ました。

この山の頂上にPrasat Phnom Rungがあります。











■Prasat Phnom Rung / 大きな山の遺跡

今回の訪問以前に、この遺跡を訪問した時の紹介は、 ココ をクリックください。




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